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日野市の歴史
約5万年前の先土器時代から、多摩丘陵に人々が住み始め、縄文早期(約1万年前)には、日野台地周辺に集落ができました。縄文後期になると、低地にも人々が移り住むようになり、6世紀頃には、大規模な集落が形成されるようになりました。
平安時代後期に入ると、京から来た日奉宗頼は、日野に土着して、西党と呼ばれる武士集団の祖となり、日奉一族は多摩川沿いに展開しました。日野周辺には、多西(西)・高幡・上田・田口・平山・土渕・田村・立河氏などの武士たちがいましたが、なかでも平山季重は、源氏に従って一谷の合戦などで武功をたて、その勇猛果敢ぶりが広く知られた武将でした。
中世の日野は、船木田荘と吉富郷・得恒郷・土渕郷から成っており、鎌倉時代後半から戦国期にかけては、高幡高麗氏の一族が高幡不動周辺をはじめとする浅川流域を支配していました。その後、永禄(1558年〜1570年)のころから、日野は小田原北条氏の支配下に入り、北条氏照は滝山城、後に八王子城を拠点に多摩地域の開発を積極的に進めました。
江戸幕府が開かれると、日野は幕府直轄地と旗本領となり、慶長10年(1605年)、甲州街道が整備され、日野宿が置かれました。貞享元年(1684年)、日野宿の助郷村42ヶ村が定められ、現在の市域の大部分の村が含まれました。また、同年、渡船場の経営が日野宿になり、万願寺の渡しが上流の日野の渡しに変更されました。また、文政12年(1829年)には、日野宿を寄場とする日野宿組合村が組織されました。
幕末になると、当地域出身の土方歳三と井上源三郎は、佐藤道場で出会った近藤勇や沖田総司らと共に上洛し、尊王擁夷の嵐が吹き荒れる幕末の京都で新撰組を結成しました。新撰組は、京都の治安維持に尽くしましたが、やがて徳川幕府は崩壊し、井上源三郎は鳥羽伏見の戦いで、土方歳三は箱館で亡くなりました。
明治に入ると、多摩地域は神奈川県に属することになりましたが、明治22年(1889年)の市制・町村制の施行により、日野宿・桑田村・七生村が誕生し、明治26年(1893年)には、多摩地域が東京府に編入され、日野宿は「日野町」に改められ、明治34年(1901年)には、日野町と桑田村が合併しました。その後、日野町と七生村が合併し新しい日野町となり、昭和38年(1963年)、市政が施行され「日野市」となりました。


